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zoom RSS あの町は今

<<   作成日時 : 2016/11/24 14:50   >>

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東日本大震災から 5年8ヵ月経ち
過去に 岩手、宮城、福島の被災地を4度訪れましたが、
特に福島は原発被災地でもあり、気になっていました。
医療生協の埼玉県央地区の企画で、「あの町は今」と言う
福島第一原発の周辺の町のバス視察に行って来ました。。
2013年
2014年
あれからどのくらい復興しているのか、自分の目で確かめたいという
強い気持ちは参加した45名の共通の思いです。

途中で 四倉から 元教師のKさんに案内をしていただき、
福島県の第1原発の影響を受けている町を北上して行きます。
富岡町の第二中学校は卒業式を翌日に控え
準備途中のままの体育館
避難して そのまま廃校になっています。
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広範囲の町を通過し、見学は ほとんど車窓からでした。
特に、帰宅困難区域は除染された国道のみ、
脇道にそれる事、下車は許されません。
以前は警察官が道路を柵で遮った前で、警備していましたが、
今は警備会社が担当しています。
中には交代時間を超えて勤務をする事になり、
被ばく基準限度を超えて 働けなくなる人も出ています。
原発作業に詳しい、従業員も減ってしまう現況だそうです!
通過中の車内で簡易放射能カウンターで計測しても、
かなり高い数値になります!
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このようなツアーを引き受けてくれるバス会社は中々無いそうです。
車外は置き去りにされた車の他は、除染、原発作業員の車と、
働く人以外は見られず、以前来た時と同じ光景です。

除染した廃棄物を入れた袋は、広大な畑地に
上から 緑のシートをかけて目立たなくしていて
それはそれで、異様な感じがしました。
画像

町中は既に壊れた家の解体が済んで 空き地が目立っています。
逆に何らかの事情で、とり残された家がポツンと立っています。
耕作されていない畑は一面セイタカアワダチソウや
ススキの原になっています!
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避難指示解除準備区域では(富岡町の一部、浪江町の一部)、
残った家の除染や修理し、正式に許可が
でる準備作業をしている家も見受けましたが、
道路と敷地内だけを除染して、誰が戻るのでしょうか
若い家族は戻るのか? 働く場所が得られるか?
学校は再開されるか? 以前のような近所の交流は出来るのか?
自分だったら どうするだろうと、複雑な思いです。

Kさんのお話では、震災直後、各町の皆さんは
全く 訳も知らされぬまま 緊急避難指示命令が出て、
避難所を転々と移動し、自宅へは戻れないまま 盗難にあったり。
故郷に帰りたくても帰れない人も多数います。
移転しても、いわれのない いじめにあい、差別されたりするそうです。

浪江町から遠く海越しに 第一原発を眺め複雑な気持ちになりました。
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バスは高速に乗り、、四倉に戻り、漁港の「いわきららみゅー」で
これも地元支援の一つである 買い物をして帰途につきました。

今回はかなり広い地域を走破したので、下車しての
見学は少なかったけれど、まだ被災地に
光が差していない現状を感じました。
忘れてはいけない! 
支援して行かなければいけない! 
この事をもっと 皆に知って欲しいと思いました

  参考までに、見学・通過した町の現在 (南から)
        広野町: 2011年9月に避難解除になったが、戻った人は60%
        楢葉町: 2011年最初に帰還宣言したが戻った人は6%
        富岡町: 全住民が避難したまま      
        大熊町: 全住民が避難したまま
        双葉町: 全住民が避難したまま
        浪江町: 全住民が避難したまま
       南相馬市: 津波による死者が636人と
               県内で1番多かった。2015年「脱原発都市宣言」した。 




     
    


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