肥田舜太郎先生講演会
2/27(土)
姉に誘われて 肥田先生の講演会に行って来ました。
先生は広島陸軍病院に軍医として勤務中に原爆に遭い
これまでに6000人の被爆者を診て来たお医者様です。
その体験を通して 日本中をはじめ 世界中に核廃絶を
訴えていらっしゃいます。
原爆に遭われた時は、偶然に爆心地から 6K離れた場所に
往診に行って居られたので、直接被爆は避けられたそうです。
それでも爆風で飛ばされ、、家の下敷きになったが、
どうにか這い出して助かりました。
それから その爆弾がどう言う物なのか、
症状がどうなっていくのか知らされぬまま
名ばかりの治療をしていったのです。
(アメリカもその時は本当のところは分からなかった様です。)
他の医師が故郷へ帰ってしまった後も患者を見捨てられず
2年程勤務して、埼玉へ移ってきました。
差別が怖くて、周りに被爆者だと言えずに
医者へ行けないし、診てもらっても診断が付かない原爆の
症状で、日本全国から患者が診て貰いに来たそうです。
患者を見て居るうちに分かった事は、直接被爆しなくても、
後から 被爆地を家族や縁者を探して歩き回った者にも
症状が出て死ぬ。原爆との因果関係がはっきり分からない
症状で死んでゆく、大変な爆弾であると言う事でした。
共通しているのはあの日広島、長崎にいたと言う事だけでした。
その当時から現在に至ってもアメリカはその恐ろしさの
公開を禁止して、自国民にも他国にも秘密にしてきたために、
世界は核兵器の本当の恐ろしさが分かっていないと言います。
それは原爆投下1ヶ月後にアメリカから調べに来た人が、
その時迄に 原爆で死んだ人以外 もう生存者は居ないと言う
報告を全世界に発信したのだそうです。
実際は昭和20年12月末までに広島、長崎をあわせて
21万人±1万人が亡くなっています。
その後 60年を超える今も原爆が、原因でジワジワと
具合が悪くなって死んで行く人が居る事を
唯一被爆国民の私たちは知っています。
今も、世界は抑止力として、核兵器を持つのは必要悪だと言う
傾向になっていますが、その為の核実験で排気、排水、
廃棄物の残留放射能による汚染の影響が出ているのに、
公開されないので、それが原因だと医、科学的証明が出来ないのです。
現在は大気から吸い込む、水の汚染で飲み込む、
放射性物質が作用して、発病する(内部被爆)病気が
多くなっていると、先生はおっしゃいます。
その事は今もって、
国が研究させている医学者、科学者だけが、
知っていて 真実の公開は禁じられているのです。
先生は国連へ何度も核実験禁止→核兵器廃絶を、
訴えに行っておられます。
あの時の使用は正しかったと言う正当性論がありますが、
日本が唯一の被爆国として、世界に発信していかなければ
いけないと先生は仰います。
核兵器は作っても、持ってもいけない
今年の5月に、ニューヨークの国連本部へ代表が
7万名分の、このスローガンの署名を持参して、訴えに行くそうですので、
私も直ぐに署名をさせていただきました。
肥田先生は1917年生まれで、今年93歳になられるそうですが、
幸い お元気で、核廃絶を情熱を持って、力説されて予定の時間が過ぎて、
ストップが かかるまで、声を大きくして 訴えられ、
この話を知ったからには皆さんも次の世代にも伝えて、
反対し続けてくださいと 力を込めて話されました。
2時間以上も会場は水を打った様に静まって 聞き入り
悲惨さに涙ぐむ人も居ました。
命を懸けて核廃絶を訴える 先生の情熱に心打たれました。

姉に誘われて 肥田先生の講演会に行って来ました。
先生は広島陸軍病院に軍医として勤務中に原爆に遭い
これまでに6000人の被爆者を診て来たお医者様です。
その体験を通して 日本中をはじめ 世界中に核廃絶を
訴えていらっしゃいます。
原爆に遭われた時は、偶然に爆心地から 6K離れた場所に
往診に行って居られたので、直接被爆は避けられたそうです。
それでも爆風で飛ばされ、、家の下敷きになったが、
どうにか這い出して助かりました。
それから その爆弾がどう言う物なのか、
症状がどうなっていくのか知らされぬまま
名ばかりの治療をしていったのです。
(アメリカもその時は本当のところは分からなかった様です。)
他の医師が故郷へ帰ってしまった後も患者を見捨てられず
2年程勤務して、埼玉へ移ってきました。
差別が怖くて、周りに被爆者だと言えずに
医者へ行けないし、診てもらっても診断が付かない原爆の
症状で、日本全国から患者が診て貰いに来たそうです。
患者を見て居るうちに分かった事は、直接被爆しなくても、
後から 被爆地を家族や縁者を探して歩き回った者にも
症状が出て死ぬ。原爆との因果関係がはっきり分からない
症状で死んでゆく、大変な爆弾であると言う事でした。
共通しているのはあの日広島、長崎にいたと言う事だけでした。
その当時から現在に至ってもアメリカはその恐ろしさの
公開を禁止して、自国民にも他国にも秘密にしてきたために、
世界は核兵器の本当の恐ろしさが分かっていないと言います。
それは原爆投下1ヶ月後にアメリカから調べに来た人が、
その時迄に 原爆で死んだ人以外 もう生存者は居ないと言う
報告を全世界に発信したのだそうです。
実際は昭和20年12月末までに広島、長崎をあわせて
21万人±1万人が亡くなっています。
その後 60年を超える今も原爆が、原因でジワジワと
具合が悪くなって死んで行く人が居る事を
唯一被爆国民の私たちは知っています。
今も、世界は抑止力として、核兵器を持つのは必要悪だと言う
傾向になっていますが、その為の核実験で排気、排水、
廃棄物の残留放射能による汚染の影響が出ているのに、
公開されないので、それが原因だと医、科学的証明が出来ないのです。
現在は大気から吸い込む、水の汚染で飲み込む、
放射性物質が作用して、発病する(内部被爆)病気が
多くなっていると、先生はおっしゃいます。
その事は今もって、
国が研究させている医学者、科学者だけが、
知っていて 真実の公開は禁じられているのです。
先生は国連へ何度も核実験禁止→核兵器廃絶を、
訴えに行っておられます。
あの時の使用は正しかったと言う正当性論がありますが、
日本が唯一の被爆国として、世界に発信していかなければ
いけないと先生は仰います。

核兵器は作っても、持ってもいけない
今年の5月に、ニューヨークの国連本部へ代表が
7万名分の、このスローガンの署名を持参して、訴えに行くそうですので、
私も直ぐに署名をさせていただきました。
肥田先生は1917年生まれで、今年93歳になられるそうですが、
幸い お元気で、核廃絶を情熱を持って、力説されて予定の時間が過ぎて、
ストップが かかるまで、声を大きくして 訴えられ、
この話を知ったからには皆さんも次の世代にも伝えて、
反対し続けてくださいと 力を込めて話されました。
2時間以上も会場は水を打った様に静まって 聞き入り
悲惨さに涙ぐむ人も居ました。
命を懸けて核廃絶を訴える 先生の情熱に心打たれました。

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